約 1,860,126 件
https://w.atwiki.jp/sangokushi11/pages/2021.html
https://w.atwiki.jp/nicosangokushi/pages/591.html
ここは三国志に出てくる有名な都市・地名を動画内での状況などと併せて紹介していくページです。 史実の流れや各動画の軌跡を振り返ってみてはどうでしょう。 安定(アンテイ) 永安(エイアン) 易京(エキキョウ) 宛(エン) 会稽(カイケイ) 街亭(ガイテイ) 合肥(ガッピ) 下邳(カヒ) 漢中(カンチュウ) 官渡(カント) 許(キョ) 鄴(ギョウ) 薊(ケイ) 剣閣(ケンカク) 建業(ケンギョウ) 建寧(ケンネイ) 呉(ゴ) 江夏(コウカ) 交趾(コウシ/コーチ) 江州(コウシュウ) 江陵(コウリョウ) 壺関(コカン) 子午谷(シゴコク) 州(シュウ) 襄平(ジョウヘイ) 新野(シンヤ) 成都(セイト) 長安(チョウアン) 陳倉(チンソウ) 陳留(チンリュウ) 南皮(ナンピ) 白馬(ハクバ) 平原(ヘイゲン) 北平(ホクヘイ) 秣陵(マツリョウ) 綿竹(メンチク) 洛陽(ラクヨウ) 倭(ワ) コメント欄 安定(アンテイ) [部分編集] 雍州、安定郡。 近くに戦略上の要所とされる街亭がある。 また、交州の定安のことをさす場合もある。 上へ 永安(エイアン) [部分編集] 益州、巴東郡。 元々は「魚復」という地名だが、夷陵の敗戦後、劉備により「永安」と改められた。 別名、白帝城。劉備が死んだ場所。孔明の北伐の時は、李厳が守っていたことがある。 蜀滅亡時には、永安城に呉軍の大軍が来襲し、混乱に乗じて領土を奪おうとしたが、羅憲が寡兵をもって守りきった。 上へ 易京(エキキョウ) [部分編集] 幽州(涿郡)と冀州(河間国)の境界付近。 (どちらの州に属するかは、史書により記述が異なるが、三国志Ⅸの区分では幽州) 河北の拠点。薊の南方(やや西側)に位置する。 公孫瓚が堅固な要塞を築き、中に三百万石の兵糧を蓄えていた。 一九八年、公孫瓚はこの地で袁紹を迎え撃つも敗北。一族もろとも自害した。 三國志Ⅸ動画では、河北での戦闘時に登場する事がある。 三國志Ⅳで中国征服 +詳細を表示 記念すべき(?)最初の戦場。 公孫瓚の火計で燃やし尽くされた。 上へ 宛(エン) [部分編集] 荊州、南陽郡。 何気に前漢・後漢の中心都市の一つでもある(他は洛陽と長安)。 張繍率いる張済軍残党が、曹操軍に降伏した場所。 しかし張繍は、張済の未亡人が曹操に取られたことを怒り、反逆。 結果、曹操は危ういところで生き延びたものの、長男曹昂と武将の典韋を失った。 上へ 会稽(カイケイ) [部分編集] 揚州、会稽郡。 春秋時代の呉越戦争における「会稽の恥」という故事成語で知られる。 孫策が王朗を破って以来、彼の勢力(いわゆる孫呉)の中心地となる。 治所のある山陰県は、今の紹興市にあたる。 三国志Ⅸの歴戦動画では、初期本拠地として、おそらく最も人気のある都市。 チルノ放浪記 +詳細を表示 深い森を抜けるとそこは会稽だった。 後のカリスマ君主の輝かしい第一歩である。 上へ 街亭(ガイテイ) [部分編集] 雍州、広魏郡。 安定の近く、戦略上の要所とされる。 諸葛亮の第一次北伐の際、ここの守備を任された馬謖は命令に反して山頂に布陣し、大敗。 責任を取らされて処刑された。 上へ 合肥(ガッピ) [部分編集] 揚州、九江郡。( 三国志ドライヴ の郡地図では「淮南」郡) 当地における魏の主要拠点であり、孫権にとってのトラウマの地。 張遼が800人で呉軍をフルボッコにした215年の戦いが有名だが、 孫権はそれ以前・以降にも何度か合肥を攻め、攻略に失敗している。 つまり、魏呉両軍にとってそれほど重要な拠点だった、ということ。 中華武将祭り +詳細を表示 本物孫堅軍が蒼天孫権を総大将として侵攻。 北郷軍には張遼が二人いたため、誰もが負けフラグだと思っていた。 が、そこはカオスで有名な中華武将祭り。 本物孫堅軍にも張遼が三人いた。 かくして敵味方入り混じったライライ祭が発生した。 上へ 下邳(カヒ) [部分編集] 徐州、下邳郡。 徐州時代の劉備の本拠地。のちに徐州は呂布に奪われるが、曹操軍により、呂布はこの地で処刑される。 曹操を裏切った劉備は再び徐州を治めるが曹操に敗れ、下邳にいた関羽らが囚われる。 チルノ放浪記 +詳細を表示 激戦地の一つ。 セイバー軍の都市であったが、チルノ軍10万の侵攻に対して援軍は間に合わないと判断し、撤退。 アーチャーが兵3万を率い、北海への撤退の時間を稼ぐことになる。 最初から本気のアーチャーの怒涛の猛攻により、アルルゥ、藤原妹紅、八雲紫、レティ・ホワイトロック、 八雲藍、オボロ、クーヤ、うどんげ、蓬莱山輝夜、ハクオロ、リリカ・プリズムリバーら、 名立たる武将たちが狙撃され、6部隊が壊滅する。 そんな中、偽報で遅れてきた君主チルノが一人気を吐き、弩兵熟練2000のアーチャーに対し三度の狙撃を成功させ、 格の違いを見せ付けた。 終わってみると、敵兵3万に対しチルノ軍の損害は8万以上と思われ、英霊の恐ろしさを視聴者に強く印象付けた。 上へ 漢中(カンチュウ) [部分編集] 益州(時代により、梁州ともされる)、漢中郡。( 三国志ドライヴ の郡地図では「武都」郡の一部) 劉邦が封(ほう)ぜられ、前漢王朝の始まりとなった地。 周りを山で囲まれた盆地で、攻めるに難く守るに易い土地であり、 食糧生産量も多いため、戦略上においてもしばしば要衝となった。 三国志においても、お米こと張魯率いる五斗米道が拠点として一大勢力を築いたり、 ここをめぐり定軍山の戦いが行われたり、劉備が漢中王に即位したり、 果ては諸葛亮が北伐の拠点にしたりと、ちょくちょく登場する重要な場所である。 上へ 官渡(カント) [部分編集] 司隷、河南郡の東端。 黄河の南岸。洛陽の東方、許の北方に位置し、兗州陳留郡と接する。 袁紹との決戦(通称官渡の戦い)における曹操軍の本陣。 上へ 許(キョ) [部分編集] 豫州、穎川郡。 曹操の本拠地。曹操はこの地に献帝を連れてきて首都とした。 許昌、許都とも呼ばれる。 上へ 鄴(ギョウ) [部分編集] 冀州、魏郡。 業におおざと。大都市。 袁紹が統治していたが204年に曹操に移り、以後曹操勢力の中心都市となる。 二喬を侍らせたいと言った「銅雀台」の建立地もここ。 上へ 薊(ケイ) [部分編集] 幽州、広陽郡。 現在の北京に当たる。 上へ 剣閣(ケンカク) [部分編集] 益州、梓潼郡。 姜維率いる蜀軍最後の戦いの地。漢中と成都をつなぐ位置にあり、ゲーム中でも重要な拠点。 三国志Ⅸでは 壺関 と並ぶ最強の関。左右に櫓や城塞を配置すると、関に到達する前に敵部隊が壊滅してしまうこともある。 上へ 建業(ケンギョウ) [部分編集] →秣陵(マツリョウ)の改名後の名前。詳しくは秣陵を参照。 上へ 建寧(ケンネイ) [部分編集] 益州、建寧郡。 南蛮に接する地。孟獲はここ出身とされる。 ゲーム的には「左下コーナー」。 空白地であることが多く、スタートの地になることも多い。 また、逆にゴールの地になることも。 上へ 呉(ゴ) [部分編集] 揚州、呉郡。 秣陵(建業)の前の孫権らの本拠地。 もともと厳白虎が割拠していたが、孫策に敗れる。 後の国号の「呉」は、魏によって孫権が呉王に封ぜられたため。 君主は陶濬 +詳細を表示 主人公である陶濬が旗揚げした場所。彼の運命の場所となった建業に程近い。 旗揚げ時のメンバーは馬岱、典韋、秋穣子の3名。 上へ 江夏(コウカ) [部分編集] 荊州、江夏郡。 三国志11では立地条件が非常に悪い。 (川からほとんどの内政施設に攻撃される、あまり内政施設を建てられない) 魔理沙の幻想郷帰還誌 +詳細を表示 チルノ補正の歴史に名を刻む都市。 劉備軍に滅ぼされたチルノ軍だが、半年もたたずにチート集団を率いてこの地で決起。逆に劉備軍を滅亡させる。 後にこの都市は魔理沙軍の領地になるが、チルノ軍と交戦しようと出陣したとたん、忠誠96のはずの姜維(生姜)らが裏切り、 再びチルノ軍のものとなった。 上へ 交趾(コウシ/コーチ) [部分編集] 交州、交趾郡。 現在のヴェトナム北部。演義ではほとんど関係ないせいか、しばしばコーエーによってハブられる。 士ナントカさんこと士燮が割拠し、孫呉に貿易を通じて南方の真珠などをもたらしていた。 士一族の影響は大きかったらしく、晋書には霍弋・陶璜など多くの人物の伝に、 「平定された」という語句が頻出するようになる。 上へ 江州(コウシュウ) [部分編集] 益州、巴郡。 現在の重慶。 上へ 江陵(コウリョウ) [部分編集] 荊州、南郡の南端。( 三国志ドライヴ の郡地図では「襄陽」郡の南端) 長江中流域の北岸に位置し、現在の湖北省荊州市荊州区に相当する。 長江の物流などの軸となる要地であり、「兵家必争の地」とされた。 西晋滅亡後、荊州の中心地は襄陽からここへ移る。 新世紀 東方三国志~ひぐらしの憂鬱~ +詳細を表示 ニートが目覚めた場所。ここから伝説が始まる。 この動画をきっかけとしてか、多くの動画においてスタート地点とされているらしく、君主は陶濬では、 蓬莱山輝夜が「始まりの地、どうしてかはわからないけれど、なんだか張り切れてしまう場所」と評していた。 101匹阿斗ちゃん +詳細を表示 空白地帯。 当時劉禅軍は、劉焉軍の成都を攻めたいが、圧勝しなくては劉備軍に滅ぼされる、 全軍を出そうにも外交と兵糧が問題になるという問題を抱えていた。 これに対し、唯一神・賀斉が提案したのは、江陵を収入期直前に占領するというもの。 資金・兵糧を確保するとともに、劉備軍を釣り出すという、一石二鳥の策である。 (賀斉)神の一手を実現すべく、ハチロク阿斗が兵1で向かい、見事作戦を成功させた。 なお、江陵に残された兵士1人は、張飛・趙雲・関平など豪華メンバーが率いる2万(+諸葛亮などの増援)と交戦し、 160人の敵兵を打ち倒す活躍を見せながらも、名誉の戦死を遂げた。 上へ 壺関(コカン) [部分編集] 并州、上党郡。 上党で叛旗を翻した幷州刺史の高幹が、206年に曹操軍を迎えて戦った場所。現在の山西省長治市壺関県。 ★三国志Ⅸにおける壷関 剣閣 と並ぶ最強の関。 左右に櫓や城塞を設置すれば、落とすことは非常に難しくなる。(PS2版だと一つしか置けない) 劉度が歴史を修正するようですの事実上の最終決戦地点。 しかし、名前のせいで、いかんともしがたい雰囲気が漂う最終決戦となった。 上へ 子午谷(シゴコク) [部分編集] 秦嶺山脈を南北に貫き、漢中と長安を結ぶ最短コース(といっても約420キロはある)。 北伐の際、魏延がここに桟道を築いて侵攻することを進言したが、孔明はこれを聞き入れなかった。 絶好の勝機を逃したとするか、危険な奇策を排したとするか、孔明の選択をどうみるかは議論が分かれる。 動画的には、魏延が強いこだわりを持つ場所として、ネタにされることが多い。 上へ 州(シュウ) [部分編集] 中国の行政区画の分類上、最大のもの。漢代では、中国全土を13州に分けた。 後に、涼州南部が雍州として分離され、14州となった。 【魏】幽州(ゆうしゅう)・冀州(きしゅう)・并州(へいしゅう)・青州(せいしゅう)・ 兗州(えんしゅう)・徐州(じょしゅう)・豫州(よしゅう)・司隸(しれい)・ 雍州(ようしゅう)・涼州(りょうしゅう) 【蜀】益州(えきしゅう) 【呉】荊州(けいしゅう)・揚州(ようしゅう)・交州(こうしゅう) +各州の主要都市 幽州:襄平、北平、薊 冀州:南皮、平原、鄴 并州:晋陽、上党 青州:北海 兗州:濮陽、陳留 徐州:下邳、小沛 豫州:許昌、汝南 司隷:洛陽 雍州:長安、安定、天水 涼州:西平、武威 揚州:寿春、廬江、秣陵(建業)、呉、会稽、柴桑 荊州:宛、新野、襄陽、江陵、江夏、長沙、武陵、桂陽、零陵、西城 益州:永安、漢中、梓潼、成都、江州、建寧、雲南 交州:交趾 (注)三国志Ⅸでの分類であり、史実とは異なる可能性もあります。 州地図 (フリー素材、 三国志ドライヴ 提供) 上へ 襄平(ジョウヘイ) [部分編集] 幽州、遼東郡。 董卓が中央を支配したころから公孫度の一族はこの地を中心に独自勢力を築いた。 度の孫の公孫淵の時代に、魏の司馬懿はこの街を包囲、公孫一族を滅亡させる。 秋色三国志 +長い長い戦い 長い長い襄平攻防戦の地。 孫策軍を滅ぼした後、八雲紫軍との決戦の切り札が「襄平制圧作戦」 江南の国から最北端幽州へ。無茶すぎる遠征が始まった。 ニューヒーロー管亥を倒したのは良かった。 しかし、その後に残ったのはボロボロの城と、大量の八雲軍援軍だった。 港を制圧され、援軍も届かない状況で立ち向かうのは守屋神社組と天界組、そして風見幽香達秋軍のエース。 この襄平攻防戦によって、港を獲られた八雲紫軍は南下する襄平部隊と北進する本隊に南北から挟撃されるきっかけを作る。 そして秋軍は南下途中に多くの城、優秀な将を得ることになる。 失った兵は多く、得た物も大きかった。 上へ 新野(シンヤ) [部分編集] 荊州、南陽郡。(西晋期に義陽郡が新設された際、義陽郡所属に変更) 劉表の治める荊州に身を寄せた劉備は、この町の守備を任される。 上へ 成都(セイト) [部分編集] 益州、蜀郡。 蜀漢の首都。 101匹阿斗ちゃん +詳細を表示 劉焉軍の都市。 劉禅軍は、主力をおとりとすることで敵部隊2万を釣り出し、その間に成都(敵兵約3万)を8千×10部隊で落とそうとする。 が、おとり部隊は早々と壊滅。敵増援が成都に戻ってきて、泥沼の戦いになるかと思われた。 が、戦闘開始2ターン目で、圧倒的数を生かした最強兵法「アングシーロール」が炸裂。 驚異の兵法連鎖により、増援が来る前に成都は陥落。劉焉軍滅亡に成功した。 上へ 長安(チョウアン) [部分編集] 雍州、京兆尹。(漢代では司隷に属したが、三国時代は雍州所属) 前漢の首都。現在の西安市近郊。 後漢末、献帝を手中にした董卓はこの地に遷都し、暴虐の限りをつくした。 上へ 陳倉(チンソウ) [部分編集] 雍州、扶風郡。(漢代では司隷に属したが、三国時代は雍州所属) 現在の陝西省宝鶏市。有名な五丈原の近郊でもある。 陳倉城は堅城として知られる。蜀漢の諸葛亮の第二次北伐において、魏の将・郝昭は寡兵にて蜀軍を撃退し、北伐を失敗させた。 郝昭の存命の間は蜀軍を寄せ付けなかったが、彼の死後放棄され、蜀領となる。 上へ 陳留(チンリュウ) [部分編集] 兗州、陳留郡。 曹操の親友であった張邈が治めていた。 なお、後漢の最後の皇帝である献帝(劉協)は、もとは陳留王であり、 魏の最後の皇帝である元帝(曹奐)は、晋への禅譲後に陳留王に封ぜられた。 上へ 南皮(ナンピ) [部分編集] 冀州、勃海郡。 袁紹が当初の拠点としていたとされる場所。(韓馥から冀州の支配権を詐取した後は、鄴に本拠地を遷す) 袁紹が死んだ後、長男である袁譚はこの地で一度曹操を破ったが、二度目で曹純に大破され、討死して果てている。 幻想三国志 +詳細を表示 第一部の終幕、南皮会談及び南皮決戦の戦場となった場所。 南皮会談は馬超が求めた和議の申し出に応じて開かれたものだったが、実際には馬超らを暗殺する為の罠であった。 その場は馬超の猛気と顔・文両将及び審配の袁紹に対する説得、そして馬超軍の軍師シュウの策によって何とか事なきを得たが、交渉は完全に決裂。 双方総力を結集しての激戦となった。そして、この戦が終局に向かった時に……。 上へ 白馬(ハクバ) [部分編集] 兗州、東郡白馬県。 黄河の南岸。官渡の北東、鄴の南方に位置する。 曹操と袁紹の白馬の戦い(官渡の戦いの前哨戦)があった場所。 なお、三国志Ⅸにおける白馬港は、黄河北岸(冀州、魏郡黎陽県)にあり、 ここでいう白馬の対岸に置かれている。 上へ 平原(ヘイゲン) [部分編集] 冀州、平原郡。 古代中国の郡。秦の時代には県、前漢の時代では郡、後漢前期では国が置かれていた。 もともとは青州に所属したが、曹操により冀州に編入された。 斉王田栄が項羽に敗れて殺された場所であり、 また劉備が公孫瓚の後押しで平原国の相となり、群雄としてのキャリアをスタートさせた地でもある。 但し、ゲームではよく滅亡する。 幻想三国志 +詳細を表示 第二部の終幕、黄巾討伐戦の戦場となった場所。 当初は兵力と練度に勝る馬超軍が有利と見られていたが、張宝、張梁、孫仲らの奮闘により南皮決戦以上の激戦となった。 最早後に退く事の出来ぬ者、歩みを止めかけ、再び前に進まんとする者、亡き張角の志を受け継ぐと決意した者、 そしてこの戦を死に場所と決めた手負いの男達が入り乱れ、多くのドラマが生まれた。 上へ 北平(ホクヘイ) [部分編集] 幽州。 北京(三国時代の薊)の旧名であるが、コーエー三国志における「北平(都市名)」は本来の位置ではなく、 右北平(ユウホクヘイ)郡( 三国志ドライヴ の郡地図では「北平」郡)に置かれている。 位置的には、薊(本来の北平、広陽郡)の東方にあたる。 ただし、晋の時代に右北平郡は改名され、北平郡となったので、ここを「北平」とするのは必ずしも間違いではない。 (もっとも、南北朝や隋の時代の北平郡は、さらに別の位置にあるので、いささかややこしい) 上へ 秣陵(マツリョウ) [部分編集] 揚州、丹楊郡(丹陽郡ともされる)。 今の南京に当たる。孫呉の首都となり、建業と改名された。 作品によっては、途中で改名イベントが入ったり、年代によって名前が違ったりする。 上へ 綿竹(メンチク) [部分編集] 益州、広漢郡。 成都北部に位置する要地。 蜀最後の決戦の地であり、剣関を迂回した鄧艾が奇襲。 諸葛亮の子孫である諸葛瞻・尚親子や黄崇などが抗戦するも討ち取られ、蜀は魏に降伏することになる。 上へ 洛陽(ラクヨウ) [部分編集] 司隸、河南尹。 後漢および曹魏の首都。董卓は、この街を焼き払って長安に遷都した。 後に文帝曹丕は、許昌からここへと遷都する。 霊夢の旅日記 +詳細を表示 いわゆる、チルノ補正の始まった地である。 動画が始まった当初、この廃墟に陣取る弱小バカルテットたちは、瞬時に消滅するかと思われていた。 が、何をどう間違ったのか、勢力は順調に拡大していき、三強勢力の1つとなる。 上へ 倭(ワ) [部分編集] 大陸の東にある島。現在でいう日本である。 魏志倭人伝(正確に言うと、「三国志」の「魏書」のラスト「第三十」の「烏丸鮮卑東夷伝」の倭に関する部分)の中に、 倭の様子と邪馬台国について書かれている。 邪馬台国は卑弥呼という女王が治めており、魏の3代目曹叡か4代目曹芳の皇帝の時代に朝貢のための使者を送って 親魏倭王に任じられている。 九州などで呉鏡(孫呉製の銅鏡)が多数出土していることから、孫呉ともかなり交流が深かったと考えられるが、 注を含め三国志にはその辺の記述がない為に、詳細は不明。 チルノ放浪記 +詳細を表示 もともと妖怪と人間がそれなりに仲良くしていたが、女王卑弥呼が暴走し、妖怪たちに戦争を仕掛ける。 無益で無謀な戦争に困った倭の人間の救援要請を受けた八坂神奈子は、妖怪王・独眼竜政宗と交渉し、女王卑弥呼を謀殺。 倭の国は神奈子が乗っ取り、妖怪たちとの関係も修復された。 チルノ軍からの宣戦布告を受け、神・人間・妖怪の混成軍で迎え撃つ。 上へ コメント欄 呉の項目について。陳瑀は呉郡太守を自称しただけで、実際には呉ではなく徐州にいたんじゃないか?江東で孫策に破られたとは書かれていない。 -- 名無しさん (2009-03-14 14 39 03) 徐州広陵郡海西から謀略を仕掛けていたようですね。すいません、直します。 -- 名無しさん (2009-03-14 15 12 20) ttp //suginami-s.net/game/sangokuonsitu/img/siryou/map_gb.gif 参考になりそうな地図があったので。コーエー三國志の北平は右北平郡なんじゃないかなあ、と思いますが詳細不明。 -- 名無しさん (2009-04-03 21 52 38) 名前 コメント
https://w.atwiki.jp/sangokushi11/pages/1999.html
https://w.atwiki.jp/sangokushi11/pages/1801.html
https://w.atwiki.jp/sangokushi11/pages/1971.html
https://w.atwiki.jp/soutoku/pages/135.html
<魏 248年> <蜀漢 248年> <呉 248年> 248年 延熙十一年(蜀漢) 皇帝 劉禅(後主・魏安楽公) 皇后 張氏(前の皇后の妹・車騎將軍張飛の娘) 皇太子 劉璿 三公(蜀漢) 丞相:(空位) 司徒: その他の要職(蜀漢) 錄尚書事: 尚書令:費禕 太傅: 太常: 光禄勳: 衛尉:→ 太僕: 廷尉:→ 大鴻臚:→ 宗正:→ 大司農:→ 少府: 大将軍:費禕(尚書令) 驃騎将軍:? 車騎将軍:鄧芝 衛将軍:姜維 主な事件 十一年夏五月、大將軍の費禕は出でて漢中に屯す。《三国志蜀書後主伝》 秋、涪陵屬國の民と夷が叛く。車騎將軍の鄧芝が討ちに向かい、皆破り平定した。《三国志蜀書後主伝》 誕生者 死没者
https://w.atwiki.jp/nicosangokushi/pages/243.html
このページは数あるニコニコ歴史戦略ゲー動画の登場人物について、各動画内での列伝をまとめていくものとして用意しました。 主役級の活躍を見せた人物はもとより、名脇役、好敵手からネタ☆キャラまで幅広く紹介されるページになることを願います。 ここでは三国志の人物について扱います。 参考用リンク先(需要のありそうなものがあれば随時追加推奨) Category 三国志 - Wikipedia :史実についての参考リンク 幻想水滸伝・三国志を知らないけど、興味ある人の為の解説サイト ニコニコ歴史戦略ゲー 武将紹介 公開マイリスト :史実武将紹介動画 武将別解説 - 三国編 :iM@S架空戦記シリーズ補完wikiより三国武将紹介 『三国志の登場人物の一覧』 :ニコニコ大百科での三国志人物項目一覧 武将別伝(三国志) ア行 ハ行 ハ ヒ フ ヘ ホ カ行 カ キ ク ケ コ マ行 サ行 サ シ ス セ ソ ヤ行 タ行 タ チ ツ テ ト ラ行 ラ リ ル レ ロ ナ行 ワ行 裴元紹(ハイゲンショウ) 馬雲騄(バウンリョク) 馬謖(バショク) 馬岱(バタイ) 馬超(バチョウ) 馬騰(バトウ) 馬隆(バリュウ) 裴元紹 (ハイゲンショウ) [部分編集] (演義の登場人物)元黄巾賊。後に周倉と共に山賊をしていたところを赤兎馬に乗る関羽と遭遇し、関羽に惚れ込んで部下に加えてくれと懇願した。周倉だけ随行を許されたため、彼は手勢と共に待つことになるが、その間に偶然通りかかった趙雲に斬り殺されてしまった。 光栄三国志での顔グラは伝統的にスキンヘッドであり(ハい・ゲんしょう だからか?)、一部では「ハゲ」の名で親しまれる。 三國志IX 統率 56 武力 67 知力 26 政治 27 三國志11 統率 49 武力 65 知力 25 政治 27 魅力 42 幻想三国志 【三國志Ⅸ】 +黄巾編のキーパーソンの一人、たまにギャグ要員 張角に心酔して黄巾党に参加した下っ端であり、幽閉されていた張角を助け出すが、途中ではぐれてしまう。 以後は、張角失踪の場で出逢ったナッシュ・シエラ・田豊と共に、張角救出と張宝軍打倒の為に行動。 張角が馬超軍に匿われている事を知って、馬超軍と共同戦線を張るが……。 基本的には単純な性格で、すぐにキレる。しかし、信義に篤い漢でもある。 上へ 馬雲騄(バウンリョク) [部分編集] (?~?)周大荒(1886-1951)の 架空戦記 、「 反三国志演義 」の登場人物。馬超の妹である女将軍。のち趙雲に嫁ぎ、二人の英傑は義兄弟となる。 文字コードの関係上、「馬雲緑」の当て字で言及されることが多い。 三國志IX 統率 80 武力 91 知力 59 政治 45 上へ 馬謖 (バショク) [部分編集] (190~228)蜀臣、字は幼常(ヨウジョウ)。馬良の弟。孔明にその才能を愛された(劉備は生前に「口が先行しがちな者なので重用するな」と孔明に釘を刺している)が、越雋郡太守に着任しては高定に反乱を起こされ鎮圧できず、さらに指示に背いて街亭の敗戦を招き、第一次北伐を失敗させたために処刑された。 「泣いて馬謖を斬る」の故事は、このことに由来する。 三國志孔明伝では知力は高いがクラスが最弱の歩兵隊(物理、策略共に微妙)の為に高い知力を生かせず 処刑すると孔明以外の部隊が強化される 為に大抵のプレイヤーは 嬉し泣きで 馬謖を斬っていた・・・仕方ないよね、コーエーの攻略本でも「これはかなりお得な(不謹慎だが)イベントだぞ」「潔く斬ろうスッパリと」「どうせ生きていても役割は姜維に取られ哀れになるだけだし」などと書かれている。 歴史戦略ゲー界隈では、もっぱら「登山家」の愛称で知られ、ネタ武将として扱われる。 三國志IX 統率 64 武力 65 知力 89 政治 81 三國志11 統率 61 武力 67 知力 87 政治 68 魅力 67 百出 三國志本編では一次北伐失敗におけるA級戦犯・・・の割には下手な文官よりも能力面で優遇されており11では強力な補佐系特技のおかげで孔明と組めば策略面でほぼ敵なしの部隊となる。劉備が健在だった三國志英傑伝でも能力だけはトップクラスだったことからも統治者や指揮官としてはともかく補佐や参謀としては有能だったのは事実のようだ。 馬謖の野望 +主人公 主人公。 君主は陶濬 +顔軍武将。キャラブレイクあり? うp主にコメントで弄られる事に定評がある。 比較的キャラブレイクの少ない本動画には珍しく、やたらとはっちゃけており、その言動は全く自重しない。 成国志 +袁術軍武将。キャラブレイクあり? 第一次登用メンバーの一人。口が悪く初期の頃はよく曹植と喧嘩をしていた。 うp主の先入観で「イノキ」属性を持ってから時折(良い意味で)キャラブレイク化している。 上へ 馬岱 (バタイ) [部分編集] (?~?)蜀の武将。馬超の従弟で、一族では馬超以外ただ一人の生存者。北伐後に反乱を起こした魏延を斬り、後年に魏に攻め込み、牛金に撃退されたと記述されている。 演義では「わしを殺せる者はおるか!」と叫んだ魏延に対し「 ここにいるぞ! 」と応じる場面が有名。 むしろ「ここにいるぞ!」が代名詞の人。歴戦ゲ界隈では、「~する者はおるか!」→馬岱「ここに(ry」という流れがお約束であるが、あまり空気を読まないと「馬岱帰れ」などと言われてしまう。 三國志IX 統率 76 武力 84 知力 56 政治 52 三國志11 統率 81 武力 85 知力 56 政治 54 魅力 74 沈着/騎兵S 関連タグ: 【馬岱】 【ここにいるぞ!】 【馬岱の大群】 君主は陶濬 【三國志Ⅸ】 +序盤から登場、現在一軍、紙芝居レギュラー参加、キャラブレイク無し 陶濬軍の初期メンバー。初登場時には早速「ここにいるぞ!」と言っていたが、基本的には真面目な性格。 チルノと一騎打ちをしたこともあってか、チルノが加入してからは彼女の保護者のような関係で共に戦うようになる。 「バタイったら最強ね!」コメも散見される。バタチル 呂布シリーズ 【三國志Ⅸ】 +序盤から登場、最後まで一軍、紙芝居レギュラー参加、キャラブレイクあり 馬騰軍が滅亡すると、呂布軍に加入した。 シリーズを通して存在感をアピールし、ネタキャラとしての地位を確立している。 「逆襲」では、霊夢の活躍を見て弟子入りする。 幻想三国志 【三國志Ⅸ】 +序盤から登場、現在一軍、紙芝居レギュラー参加、キャラブレイク無し 武威が陥落した時、馬超と共に幽州まで逃げ延びている。 従兄思いのしっかりものだが、融通がきかないところがある。 戦闘では馬超に付き従って活躍する。 軍師黄皓の憂鬱 【三國志11】 +... 馬騰軍滅亡後放浪。とてつもない方向音痴で、劉禅領に流れついてしまう。 ある条件下で「ここにいるぞ!」と言ってしまうのは体質らしい。 上へ 馬超 (バチョウ) [部分編集] (176~226)馬騰の長男。字は孟起(モウキ)。涼州で曹操に対して反乱を起こし、一時は曹操を追い詰めるが、敗れて流浪の身となる。張魯の下に落ち延びた後、劉備に仕えた。 演義では「錦馬超」と称されており、蜀の五虎大将軍に数えられるが、蜀に入った後の活躍の記録は少ない。 ゲームでは知力が低めで、「 馬鹿超 」「 筋馬超 」呼ばわりされることが多い。 三國志IX 統率 91 武力 97 知力 46 政治 44 三國志11 統率 88 武力 97 知力 44 政治 26 魅力 82 騎神/槍兵A,騎兵S 関連用語: むむむ 、 ヴァモーキ 関連タグ: 【馬超】 幻想三国志 【三國志Ⅸ】 +主役、キャラブレイク無し 謎の敵に殺された父の仇を討つために、一時河北に逃れる。が、そこでも事件に巻き込まれ、勢力の長となる。 やや気負いすぎるところがあり、周囲から心配されている。 歴戦会では珍しく脳筋ではない。 アイマス架空戦記全般 +登場作品多数、紙芝居参加多数、キャラブレイク多数 猛将ではあるが、同時に脳筋として扱われることが多い。 それに伴い、ギャグ要員にされることも多々ある。 呂布シリーズ 【三國志Ⅸ】 +序盤から登場、最後まで一軍、紙芝居レギュラー参加、キャラブレイクなし 馬騰軍が滅亡した際に捕虜となるが、脱走。近場のブーン軍に仕官する。 そのブーン軍滅亡とともに呂布軍に加入。一大決戦の最中に敵の後方都市に奇襲をかけるなど、 呂布軍の主力として活躍。呂布軍の四天王と呼ばれる。 ただし、曹操の離間の計にかかるなど、脳筋的な部分は残っている。 騎将張繍の野望 【三國志Ⅸ】 +神奈子軍武将 トリーズナー。28歳にもなって世間のあらゆることに反逆しては、父である馬騰に説教される。 Fairy Rhyme 【三國志Ⅸ】 +第11章part1に登場 第11章part1に登場するが、紙芝居明けにレミリアに処断されるという出オチだった。 が、第33章part2で「あの」袁紹軍にいることが判明する。 上へ 馬騰 (バトウ) [部分編集] (?~211)字は寿成(ジュセイ)。涼州に割拠した群雄。後漢初期の名将・馬援と羌(チベット系)の血を引く。曹操に従って朝廷に出仕するが、馬超の挙兵の責任を問われて、殺された。 演義では、曹操暗殺計画が発覚して殺害されたことで馬超が挙兵したことになっており、順序が異なる。 三國志IX 統率 81 武力 80 知力 49 政治 65 三國志11 統率 82 武力 80 知力 51 政治 59 魅力 89 繁殖/戟兵A,騎兵S 劉度シリーズ (歴史を修正、歴史に挑戦) 【三國志Ⅸ】 +顔グラ差し替え 顔グラが「攻殻機動隊」のバトーに差し替え。 涼書董白伝 【三國志Ⅳ】 +涼州の群雄。キャラブレイクあり 涼州の群雄。会話は「涼州の方言」で行われる。 「標準語」も喋れるが、イメージに合わないということで、董白に方言で話すよう命じられた。 馬騰登用禁止プレイ 【三國志Ⅸ】 馬騰「で」登用禁止プレイ。決して馬騰をハブる動画ではない。 超級 馬騰 【三國志11PK】 上へ 馬隆(バリュウ) [部分編集] (?~?)魏~晋臣。字は孝興(コウコウ)。知勇兼備の将で、晋の呉征討に従事した。羌族と戦い、涼州の平定に功績を残した。 気骨のある人物で、魏の末に司馬一族に反逆した廉(かど)でさらし者にされた令狐愚の遺体を引き取り、私財を投じて葬った逸話がある。 三國志IX 統率 77 武力 75 知力 72 政治 71 101匹阿斗ちゃん 【三國志Ⅸ】 +劉禅軍(プレイヤー勢力)武将 劉禅軍五虎大将軍の一人。通称「葬儀屋」。 優秀だが、空気が読めない。 曹操☆無双 【三國志Ⅸ】 +曹操軍武将 序盤に参加。貴重な走射持ちとして活躍中。 価値にこだわる男。 上へ 名前 コメント
https://w.atwiki.jp/sangokushi11/pages/1892.html
https://w.atwiki.jp/mouiya/pages/26.html
ゲームID:CNTJ0001 マスターコード 02383894 037FB6AC カード追加 220Cxxxx 00000039 ※xxxxはカードリスト参照。 <戦略の章> SELECTボタンで資金999999 94000130 FFFB0000 0219194C 000F423F D0000000 00000000 <鍛錬の章> SELECTボタンで総兵糧99999 94000130 FFFB0000 020C2854 0001869F D0000000 00000000 SELECTボタンで勝利 94000130 FFFB0000 1218C84C 00000000 D0000000 00000000 ▼カード(xxxx)リスト 288F-于禁 UC2890-王異 SR2891-カク R2892-郭嘉 R2893-郭皇后 C2894-夏侯惇 R2895-楽進 UC2896-夏侯淵 R2897-夏侯惇 UC2898-牛金 C2899-キョチョ R289A-蔡文姫 UC289B-夏侯淵 UC289C-司馬懿 SR289D-荀彧 R289E-荀攸 UC289F-鍾会 UC28A0-徐晃 UC28A1-甄皇后 SR28A2-曹洪 C28A3-ヨウコ R28A4-曹彰 C28A5-曹植 C28A6-曹仁 UC28A7-曹操 SR28A8-曹丕 R28A9-チョウコウ R28AA-張春華 SR28AB-張遼 SR28AC-蔡瑁 C28AD-曹昂 C28AE-程昱 UC28AF-典韋 R28B0-鄧艾 SR28B1-卞皇后 UC28B2-ホウトク R28B3-満寵 C28B4-李典 C28B5-劉曄 C28B6-伊籍 C28B7-王平 C28B8-夏侯月姫 C28B9-馬超 R28BA-関羽 UC28BB-関銀屏 R28BC-趙雲 R28BD-甘皇后 UC28BE-関平 UC28BF-簡雍 C28C0-魏延 SR28C1-姜維 R28C2-厳顔 UC28C3-黄月英 UC28C4-黄忠 UC28C5-黄忠 R28C6-周倉 UC28C7-劉備 SR28C8-諸葛亮 SR28C9-徐庶 R28CA-孫尚香 SR28CB-趙雲 SR28CC-張松 C28CD-張飛 R28CE-趙累 C28CF-馬謖 R28D0-馬岱 UC28D1-馬超 SR28D2-馬良 UC28D3-呉懿 C28D4-麋夫人 C28D5-法正 UC28D6-ホウトウ R28D7-孟達 C28D8-関羽 SR28D9-劉備 R28DA-張飛 UC28DB-劉封 C28DC-廖化 C28DD-孫桓 C28DE-カンタク C28DF-韓当 C28E0-甘寧 UC28E1-虞翻 C28E2-黄蓋 UC28E3-孫策 SR28E4-呉夫人 SR28E5-周泰 R28E6-周瑜 R28E7-朱桓 C28E8-朱治 C28E9-小喬 R28EA-蒋欽 UC28EB-太史慈 UC28EC-諸葛瑾 UC28ED-徐盛 R28EE-祖茂 C28EF-孫堅 SR28F0-孫権 R28F1-孫策 R28F2-孫尚香 R28F3-大喬 R28F4-太史慈 R28F5-張紘 UC28F6-張昭 UC28F7-陸抗 R28F8-陳武 C28F9-程普 UC28FA-丁奉 R28FB-董襲 C28FC-潘璋 C28FD-陸遜 SR28FE-リョウソウ C28FF-リョウトウ UC2900-呂範 C2901-呂蒙 SR2902-魯粛 UC2903-于吉 UC2904-袁術 UC2905-カク R2906-華雄 R2907-紀霊 UC2908-厳氏 UC2909-高順 R290A-コウソンサン UC290B-鄒 R290C-張角 SR290D-張勲 UC290E-貂蝉 SR290F-程遠志 C2910-張遼 R2911-張梁 C2912-張魯 C2913-陳宮 UC2914-陳蘭 C2915-胡車児 C2916-張繍 C2917-董卓 SR2918-董白 UC2919-裴元紹 C291A-楊弘 C291B-馬元義 C291C-雷薄 C291D-李催&郭氾 C291E-李儒 UC291F-呂姫 R2920-呂布 SR2921-カク LE2922-郭嘉 LE2923-楽進 LE2924-夏侯淵 LE2925-夏侯惇 LE2926-キョチョ LE2927-荀彧 LE2928-荀攸 LE2929-徐晃 LE292A-曹仁 LE292B-曹操 LE292C-張遼 LE292D-魏延 R292E-甘寧 SR292F-左慈 SR2954-郭皇后 UC2955-甘皇后 UC2956-馬岱 UC2957-貂蝉 C2958-淳于瓊 UC2959-リョウトウ UC295A-趙雲 UC295B-典韋 UC295E-曹丕 SR2960-王異 UC2961-キョチョ UC2962-徐晃 UC2963-カイエツ UC2964-夏侯淵 UC2965-関羽 SR2966-姜維 R2967-黄月英 R2968-コウソンサン UC2969-司馬懿 SR296A-周倉 UC296B-小喬 R296C-曹彰 UC296D-孫尚香 R296E-太史慈 SR296F-張飛 R2970-馬良 UC2971-陸遜 R2972-楽進 SR2973-姜維 SR2974-孫尚香 SR2975-呂姫 SR29C9-陳羣 C29CA-郭嘉 R29CB-司馬懿 SR29CC-荀彧 R29CD-荀攸 C29CE-麋竺 C29CF-諸葛亮 SR29D0-ホウトウ R29D1-馬謖 R29D2-法正 C29D3-周瑜 SR29D4-張昭 C29D5-呂蒙 R29D6-魯粛 C29D7-陸遜 R29D8-禰衡 R29D9-カク C29DA-張角 R29DB-陳宮 C29DC-李儒 SR
https://w.atwiki.jp/medamayaki/pages/2.html
メニュー トップページ 2021-12-11 01 06 45 (Sat) bot説明書リンク ■三国志関連名言bot 鍾会名言bot説明書 陸遜他名言bot説明書 姜維名言bot説明書 三国志っぽいbot説明書 ■中国古典関連名言bot 左伝bot説明書 ■無双関連bot 6姜維bot説明書 6孔明bot説明書 6鍾会bot説明書 6馬超bot説明書 6王異bot説明書 6陸遜bot説明書 ■無双関連bot(orochi) ネメアbot説明書 太公望bot説明書 酒呑童子bot説明書 綾御前bot説明書 Twitterリンク ■三国志関連名言bot 鍾会様名文&名言bot 陸遜陸氏名文名言bot 姜維名言&姜維伝bot 三国志っぽいbot ■中国古典関連名言bot 春秋左氏伝ぽいbot ■無双関連bot 無双6姜維bot 無双6孔明bot 無双6鍾会bot ■bot、管理人関連 twittbot EasyBotter 管理人 管理人備考 管理bot説明書(新) その他 三国志関連年表置き場 諸葛亮北伐関連年表1 姜維北伐関連年表1 edit→edit